2005年にスタートして、昨年は日本でも公演を行い、今なおツアーを継続中というローリング・ストーンズの最新ライブ・ステージの模様を先日友人宅で観ました。メンバーであるミック・ジャガーとキース・リチャードはともに1943年生まれ、ということは今やすでに還暦を超えているわけですが、現在の彼らの過剰なまでに健康的なステージ姿に接して以来、そういえばそもそも「健康的」とはどういうことかという問題が気になって、このところ少しばかり考え込んでいる次第です。
もちろん、年齢に関して言えば60歳を過ぎて現役でステージに立っているミュージシャンという存在自体は特に珍しくはなく、たとえば昨年の東京ジャズフェスティバルに来日してピアノを弾いた88歳のハンク・ジョーンズと比較すると、ストーンズのメンバーはむしろ若者と呼べるのかも知れません。
あるいは、そうしたことは別としても、彼らの外見から受ける印象から、たとえば脚やウエストのラインを見ただけで、これはただ漫然と日々を過ごしている人間の肉体とは到底考えられず(笑)、しかるべき運動トレーニングなり食事コントロールなりを厳格に続けているであろうと想像することは難くなく、とりわけ麻薬中毒の治療に際して血漿交換まで行ったと噂されているキース・リチャードにおいては専属のメディカル・チームが存在しても不思議ではなさそうな健在ぶりなのですが、しかし、そうした生物学的な健全性だけが健康を定義づけるものとは思えないような気がするのです。
その辺りのことが先日来どうにも気になっていたので、かなり以前に観た「ワン・プラス・ワン」を昨日見直してみました。これは1968年にゴダールが監督した映画で、全体の半分はローリング・ストーンズのレコーディング風景を収録したものですが、残りの半分は、レコーディングとは関係のない外の世界の映像とナレーションからなる不可解なフィルムです。初めて観た時と同様、今回も作品の意味はさっぱり理解できませんでしたが、現在のストーンズが健康的に感じられる理由がなんとなく分かったような気がしました。
それはたとえば、68年当時の彼らは少なくとも「健康」など志向していなかったであろうこと、当時の種々の状況に現在のストーンズを出現させたとしてもそこには「健康性」を見出す文脈は一切なかったであろうこと、そしてストーンズのメンバーの各個体が生物として受けた変化よりも、時代と世界の変容の方が認識に及ぼす影響として遥かに大きいのではなかろうか、といったことを考えてみたからです。あるいは、概念としての健康性とは、社会的な(そして場合によっては政治的な)要素を含みうるということなのかも知れません。
…といったことをつらつらと考えていたのですが、結局のところ、我々の同時代人であるストーンズのライブそれ自体を純粋に楽しむことの方が、よほど健康的で充実した時間を過ごすことができることに、ようやく気がついた次第です。