「女は実体だが、男は現象である」と免疫学者・多田富雄は喝破したが、それはまさしく至言であると解剖学者・養老孟司が書いているのをどこかで読み、はて、これはどういう意味だろうかと以前疑問に感じていたことを最近思い出しました。そもそも、たまたまこのお二人の授業を学生時代に受けたことのある者としては、彼らが一体どのような場所でこんな話をしていたのか全く想像がつきません。
多田教授は飄々として現代免疫学の先端をその場で思いついたアドリブのように語り、養老教授は何かを後悔するかのような口調で解剖学のエピステーメーを哲学的に語るという点で、ある意味では対照的な講義をされていたような記憶がありますが、多田先生は免疫学の研究をしながら他方で能の台本を書いてしまうような才人であり、かたや養老先生は希代の名文家としても活躍されていた訳ですから、学生たちが相手では相当に退屈されていたのでしょう。
先日、宮崎駿監督のアニメ「崖の上のポニョ」を観て、その後あれこれと考えているうちに上記命題へと思いいたった次第なのですが、大人も楽しめる子供向けのファンタジーとして喧伝されているこの作品は、実は多様な読解を許容する豊かな作品世界を構成していると個人的には感じました。たとえば、海で拾った一匹の魚に向かって「君を守るよ」と宣言した少年を、少女へと姿を変えた魚が津波とともに追いかけてくるシークエンスは、ヒッチコック的悪夢のような迫力に満ちており、「ポニョ」は恐怖映画の一種である(笑)という見方も成り立ちそうです。
あるいは、「この子は、お魚だったんだよ」と少女を紹介された少年の母親は、何の疑問を抱くことも異議を唱えることもなく、さも当然の事態であるかのように少女を家に迎え入れるわけですが、この不自然なまでの自然さは何かの不条理劇を連想させるような気もします。
などというと、熱烈なアニメファンまたはジブリ信者と勘違いされそうですが、実は小学校を卒業してから昨年にいたるまでの約30年間、一本もアニメーションを観ることなく生きてきました。しかし、これはもしかすると人生を損しているのかもしれないと昨年になって真剣に考え始め、庵野秀明・押井守といった巨匠の作品に接し、今回初めて宮崎駿を観た次第です。これで人生を得したのかどうか今のところ不明ですが(笑)、もし上記命題の意味するところは「女性は単独で実体として存在しうるが、男性は関係性の上に成立する現象のようなものだ」ということであるならば、それが分かっただけでも有意義だったのかも知れません。
・・・もっとも、「ポニョ」を観なければそんなことも理解出来ないのかと、恩師たちから呆れられそうな気もしますが(苦笑)。
(追記)自分で何かを書くよりも、読んだり見たり聞いたりする方が好きな体質のため、ブログの更新を怠っていたところ、どこで知ったのか学生時代の別の恩師から「健全な通俗性を真面目に育むように」との意外なコメントが届き、約1年ぶりにアップしてみました。どこで誰が読んでいるのか分からないものです。