今年の7月30日、イタリアの映画作家ミケランジェロ=アントニオーニが94歳の生涯を閉じました。以来、再評価の機運が高まっているのか、近所のTSUTAYAのレンタルコーナーにて彼の作品が目立つようにずっとレイアウトされ続けているので、先日DVDを3本借りて約20年振りに彼の映画を観ました。アントニオーニというと「愛の不毛を描く巨匠」という評価が一般的なようですが、「愛の不毛」というより、「不毛な愛」にこだわり続けた人だったのではないか(笑)という気がしました。もっとも、そう感じた理由は、今回観た3本がいずれもモニカ=ヴィッティ(当時のアントニオーニ夫人)の出演した作品だった所為かも知れません。彼女のアンニュイな存在感は、そういう主題に実にマッチしているからです。
しかしそういうこととは別に、彼の作品を観ていて何故かノスタルジックな印象を受けました。個人的には、1960年前後のイタリアに対して懐古や追憶を抱く正当な理由など全く存在しないにもかかわらず、です。
それが何故かを考えていたら、たまたま今日11月9日はベルリンの壁の崩壊から18年目にあたることをインターネットで知りました。9.11は未だ大きな影響を残し続けていますが、11.9はすっかり風化してしまったのか、もはや誰も話題にしないようです。それで良いのかどうかはともかくとして、この18年間で我々の社会のあちこちから、ある種の左翼性が希薄になりつつあることは事実と考えて良いような気がします…やや微妙な言い方ですが。
そして、アントニオーニの映画の中に確実に存在していたある種の左翼性は、もしかすると現代ではすでにノスタルジーの対象になってしまったのではないかと不意に思いました。そういえばアンニュイという言葉も、もはや(日本語としては)死語かもしれません。モニカ=ヴィッティのような女性は、現実に身の回りからいなくなってしまったようです。時代性もしくは歴史性とはそういうところに宿るものなのでしょうか?
ところで、アントニオーニが息をひきとりつつあった同じ日に、スウェーデンの映画作家イングマール=ベルイマンも89歳で亡くなりました。そこに何か象徴的な意味を読み取るべきなのかどうか全く分かりませんが、やはりTSUTAYAで特集されているので(笑)観てみようかと思います。